サンタクロースにドロップキック

 
 恋人が嘘をつく。
 僕が原因だという。
 堂々巡りのいつもの議論。
 何度も輪廻転生した後にも似た疲れ。
 
 僕は良く晴れた午後の桜吹雪を夢想する。中目黒の。ああ、川岸で、うまいワインと、ピザで、、、そして、そして、あとは、、、
 
 あとは君。
 あとはそこに君がいれば最高なんだと僕は思う。
 その君が嘘をつく。
 
 ひどく、とてもひどく凶暴な気持ちになる。
 フライデー編集部を消火器持って襲った人間の気持ちを理解する。
 オトコとオンナのハナシをそれ以外の人間がややこしくするんじゃねぇ。
 ビートTけしのあまり有名じゃない名言だ。
 あれも12月の初旬の出来事だったんだなぁ。

 僕は、今年の24日か25日あたりに、サンタクロースを見つけたら、顎に確実にドロップキックをきめてみせる。

あなたがわたしのことを覚えていてくれれば、世界中の人に忘れられてもかまわない。

 と、小説のなかの素敵な人はいった。
 僕は昼時でごったがえすロッテリアの片隅で一粒涙を流す。同情でも感動でもない、しいていうなら達成がもたらすそれかもしれない。
 電子音のミッキーマウスマーチ。チャイルドチェアを引きずる音。タバコの灰を捨てる「コン、コン」。子供が長靴で走る音。携帯メールのプチプチ。キャッシャーの甲高い清算音。
 いつのまにかすべてが聞こえなくなっている。まるでその本の中の人物たちのように、音は僕のまわりから少しずつ姿を消し、視界には白濁した『もや』がかかり、文字を見ていたことすら忘れている。嗅覚はそれまで僕の顔のまわりに漂っていたキャスターの煙を感じなくなり、コーヒーの後味も徐々に自分の舌に染み入って自分自身の味と同化し、やがて何も感じなくなる。
 僕の頭の中は3重奏を奏でていた。小説のストーリー。それが勝手に自分の人生にフィードバックされたトラック2(いつの間にか僕も責任のある傍観者として小説の世界にいた)。その二つから生まれる言葉のうず。
 しばらく頭がくらくらしていたが、やがてまた別のチャイルドチェアを引きずるかん高い音で『こっち』側へ帰還する。BGMは電子音マーチから『美女と野獣』のテーマへと変わっていた。僕がNYで2度見たミュージカルの。プリンセスのボーカルに心が和む。
 コーヒーの最後のひとくちを啜り、キャスターワンに火をつける。3台のキャッシャーは相変わらず忙しそうにチン、チン、と音を立てている。
 窓を見ると晴れた空。きれいなコバルトブルーの冬空に、子ネコみたいな白をした雲。ちらちら雪を降らしている。
 融けかけた雪道を滑るように歩く子供たち。年老いたスピッツを抱きかかえたおばあちゃん。バスがのっそりとバスセンターから突き出てくる。
 信号が赤から青に変わり、冬眠中の蛙のように並んでいた様々な種類の車が走り出す。おしりから真っ白な煙を吐いて。
 赤、青、黄、赤、青、黄、の順番で街はリズミカルに動く。恋人がいるのに浮気している人、30年無遅刻無欠勤の清掃業者、孫へのプレゼントを買ったばかりのおじいちゃん、チャイルドシートに男の子を乗せた若いお母さん、スピッツを抱いたおばあちゃん。どのような者にも均等にそれは働きかける。まるで「いいかい、誰もがそれを計ることは不可能と思っているが、実はここだけの話、人が持つ幸運と不運の絶対数はみんな同じなんだよ」と言わんばかりに。
 ストップ、そしてGO。黄色に気をつけてストップ、そしてGO。
 その繰り返しで、僕らは誰もがフェアに、そして均等に生きている。そう考えてみる。

ドキドキずるずる

 今日は色々初体験したが、何の初体験かはあえて記さない。
 この年になっても初めて何かを経験するというのは、冬山に餌を探しに行くお腹ペコペコで冬眠できない熊みたいで、どこか諦めていることだけれど(もちろんそれはティーンエイジャーのあの頃のような輝く体験に対してのみを指す!)、偶然にも餌にありつく機会というのは突如として突拍子も無い方角からひょいとおとずれるものだ。
 今日は予想外にドキドキした。緊張とは縁の無い性格である僕は、この『ドキドキ』にめっぽうよわい。ドキドキのある方向へ吸い寄せられるように向かってしまう。
 本当は『ドキドキに弱い』のか、それとも『ドキドキを求めている』のかは自分でもわからない。もしかしたらアリ地獄のようなものなのかもしれない。決して近づくべからず。しかし危険なものにほどドキドキするのも確か。
 たとえそのドキドキと危険の間にぶっといマジックでぶっとく一直線が描かれていたとしても、高揚感のなかでは目の前にある危険のその後を想像する力はすっかり吸い取られ、半笑いを浮かべたままずるずると力なく逆円錐の砂を下方へと吸い込まれていくのである。そうしてドキドキずるずるしている間にも迫り来る危険をある時から僅かずつ認識し、そうして今度はドキドキが薄れてゆく。ドキドキがゼロになる頃には危険だけが残り、その後にはぐったりとした疲労感だけが残る。
 ああ、まるで大人になりかけてしまった自分みたいだ。
 ドキドキずるずるドキドキずるずるを繰り返し、最後にはドキドキを失い、そうして僕は大人になっていくというのか。

memo

 引き算の美学
 
 あるがままとはシンプルなこと
 色のレイヤーのない平面
 単色のパーツのあつまり
 包丁のみの味付け
 
 ありのままとは受け入れること
 たどり着いた先を想像せずにいること
 今いるそこで感じること
 歴史と現在の関連性すら探らない
 

寒いって言うの禁止

 よく使われるフレーズだ。冬空だってのにアッツアツのカップルなんかが、「おいおい、そういいながらミキこそ先に寒いって言ってんじゃーんあはははまてまてー」なんていう馬鹿丸出し系の幸せそうな会話をしている時によく聞く。ミキちゃんがかわいらしいのならとても微笑ましい光景なのだが、ミキちゃんがハリセンボンの片割れ(どちらでも可)のようであった場合には、思わずつばきを吐きかけずにはいられない衝動を抑えるのにみなさんも必死なことだろう。
 おそらく全国2500万の、そして北半球の北方部を入れると3億とも呼ばれるみなさんが、しかしながら寒い寒いと同じフレーズだけエイトビートでささやきつづけるものだから、となりにいてじっと我慢するタイプの方々はそれを禁止せずにはいられなくなる気持ちもわかる。
 寒いって言うの禁止ね。いや、僕も正直何度も言われたし言った言葉だ。毎年実は流行語大賞的に北国の人々には使われているフレーズではなかろうか。リサーチできるものなら、ひと冬のトータルを統計してみたい。ひとりあたま15、6回というとこではなかろうか。
 禁止、しかしそこに罪が問われない場合、人はそれを気にかけない。そこで、だ。寒いって言うのを禁止する時に何を罰として課すべきか。そこが重要となる。
 おすぎとピーコの物まねをする。
 少し違うかもしれない。いや、かなり逸脱している上に、あまり罰とはいえない。
 Tシャツ姿で寒空を歩く。
 条例に対する罰則の反意を超えている。やりすぎだろう。
 おもむろに雪をすくい、ほっぺたに擦り付ける。
 おうっ。これは効果的かもしれないが、、、その瞬間に思わず冷たいっ寒いっと叫び、また新たにキップを切られてしまうのだ。罪を犯し、罰を受けるとまた同じ罪を犯してしまう。非常にシェイクスピア的ではあるが、やはりやりすぎかもしれない。
 一番いいのは、、、はたして何なんだろう。
 なんて考えていると、バスは自分の停留所についていた。バス亭は標識に雪をたたえ、『丁目』の部分が見えない。少し間抜けな読みになるのだ。
 はぁさむ。

コンペイ糖溶けて

 気負いなく日々生活をこなす。それは小さなコンペイ糖のような邪気を、すっからかんのこころに一粒ずつころんころんと落としていく作業だ。
 コンペイ糖は、もともとは球であった七色の砂糖の小さなかたまりを、一色ずつ小型タンクローリーのような容器の中でガラガラとまわし、そこに徐々に砂糖の液体を流し入れ、まん丸のコンペイ糖にわずかに小さくあった『デコボコ』に徐々に付着していき、それが徐々に大きくなり、よいところで機械を止めた時にできあがる。機械は内側を熱してあり、その熱によって『デコボコ』が固まる。虹色のコンペイ糖になってしまうので、作業は1色ずつ行われる。単体でなないろのコンペイ糖も素敵、と思いがちだが、それらが集まったときの色の映え具合は、一個一色で色づけたものが集まったときのそれと比べると―僕は実際それを見たことがあるが―わかりにくすぎてかすんでしまう。色と形のマジックなのだ。それぞれ単色のとげとげの甘い者たち、でなければいけない。
 社会というデザインのおかしいパッケージの中で輝く術は、コンペイ糖のそれのように、単体で単色を作り出すことに秘訣があるのかもしれない。
 煮えきらずとも、すぐにからだの内側は熱くなる。気負いのない生活のなかでも、色づきしコンペイ糖がひとつずつ落ちてくる。やわらかなカーブのトゲが胃壁を刺激する。粘膜には充分すぎるショックで。彼らは溶け出し、やがて液化する。色とりどりであったはずの飴たちは、すべてが同様のシンプルな味覚のみを残してやがて消えゆく。

クレイジー・クレイジー

 ひどいフブキなのだ。出かけるのが億劫になるくらい。この時期―またもや季節の話で申し訳ないが―1日に30cm以上の降雪を記録する北方の国々では、引きこもりの人口がその年代に関係なく夏のそれと比べて、40%も上昇するという。(『カオス4想像』調べ)
 しかし、「こんなもの豪雪とは言わないのだよ」と、わたしの友人は膝まで積もってもさらに降り続く粉雪の嵐のなかをグイグイとこいで、颯爽と国道36号線を歓楽街方面へと消えて行った。酒とオンナのパラダイスは氷点下でもアツアツなのだ。真夏の街頭よろしく、ピンクのネオンは煌々と存在感を示し、飛んで火に入る虫たちを焼き尽くすのである。
 冬靴がない。
 井上陽水に傘がないように、僕には冬靴がない。
 エア・フォースⅠの耐えられる季節は完全に過ぎ去った。
 『行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ』
 しかし問題は、会いに行く君がいないということである。