All We All Are All Yellow, Aren't we?

ホワイトカラー・イグザンプション(エグザンプションとも読まれる・以下略してWE)、断固反対です。
キリストとアラーが組んで、正義と道理を振りかざしながら信者以外を蹂躙してるみたいだ、経団連と厚生省のタッグ。
法律の解釈というのは明確でなければならないし、それが人間を暮らしやすくするものであるべきだと僕は思うけれど。
WEは、僕の解釈では、『過労死、病気をした人間に大して、会社、社会保険庁は責任を負う義務がなくなる』という重大な欠陥を持つ法案だ。

父を亡くした家族が路頭に迷うストーリーが僕には見える。
病気や労働時間過多で、社会から徐々に逸脱してしまうひとたちが僕には見える。

なんて想像力のない法案なんだろう。
もしくは想定済みで、それを承知で推し進めているのだろうか。

もうひとつひっかかるのは、それを報道するマスコミがいないことだ。
語られている、と言うには内容はかなり薄い。
コマーシャライズされている報道の悪い面が出ている。
言論すら、ポッキーやカローラの広告に乗せなければ伝わらない時代。
ポッキーやカローラを無視する言論は、やんわりと弾圧される。

恐ろしい世の中だ。
僕らはブログやMIXIで、まるでおしくらまんじゅうみたいに寄りそってはいるけれど、そしてまるで世間に我を示すツールを得たり、みたいな気分になっているけれど、肝心な事を重要な人たちに伝える方法を本当は知らないんだ。
密室めいた国会議事堂で作られている法案を、指を咥えて眺め、しぶしぶ受け入れるしかないんだ。

感覚的なものでしかないが、アメリカのほうがはるかに民主的だった。(アメリカにいた僕は選挙権を持たない悲しいリーガルエイリアンだったけど)
大統領選挙のあのおおきな盛り上がり、投票の日が休日になること、クラスでケンカになるほど議論が起きること、日本では経験しない。
民族的な問題も大きいだろう。
あれがかわいいとか、言葉使いの美しさがどう、とか、そういうことに日本人は忙しいのだ。
赤信号をみんなでわたって我慢しようという民族であることは間違いない。

ネットで大議論になっても、顔と顔を突き合わせての大議論は嫌う民族なのだ。
それは大きな何かを乱すから。

しかしいまやその大きな何かは、かつての美しさは失い、今は円とドルにコントロールされた、経団連の政治献金の大きさにのみ比例するものになっているのではないか。

ああ、世の中にはたくさんえらいひとたちがいる。
自分の人生にプライドをもち、この日本を作ってきたひとたちがいる。
彼らは今何をしているんだろう。
今の30代や40代、その下の世代、孫の世代を汚す法案が存在してしまう時にも、高度成長期のしがらみとご恩をJ民党に返還しつづけているのだろうか。

もちろん人任せではいけないことなのだ。

われわれはわれわれでたたかわなければならない。